チリ(縦に細長い国)

chlieの地図

ペルーから南米一周旅行を始め、最初に行った国が南のチリである。 予算が少ないのでリマからサンチャゴまで2,500kmをバスで行った。国境の街タクナまで、モラレス・モラリート社のバスで行き国境を越えアリカへ、そこで一泊。その後バスを乗り継いで サンティアゴに着いた。 途中アントファガスタコピアポー (鉱山で地下に閉じ込められた鉱夫が救助され世界的に有名になった町)にそれぞれ一泊した。

チリの3Ws

チリには世界に誇る3Wがあるといわれていた。Woman, Wine, Weatherである。

Woman 中南米NO.1の美人国チリ

chlie_Woman

チリを旅行した男でこれに反対する奴はいないだろう、もしいたとすればそいつは男性ホルモンの分泌が異常であろう。私も決して反対しない。 ベネズエラがミスワールドの最も多い国ではあるが、日本人旅行者の中では「め」ではない。

さらに気立てもよく男に尽くすということで、世界一周旅行中にチリで沈没した日本人男性旅行者は少なくない。思えばチリ人は男女を問わず外国人に親切だった。 中南米の美人国を3C(チリ、コスタリカ、コロンビア)というが、私はこの3Cを全て訪れたがチリがダントツだ。

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Wine 安くて旨い

CONCHA Y TORO

コンチャイトロ CONCHA Y TORO
チリで最も有名なワイン

近年チリ・ワインの評価が世界中で高くなっている。最近日本でもよく見かけるが、安くて旨いのが特徴だ。あわびもどき(ロコ)など食べながら白ワインを飲めば本当に最高!
このワインについて面白い(と言っていいかどうか)ストーリーがある。キヨタというところに住むSさん(日本人)から聞いた話だ。

後で述べるが当時チリでは共産主義政府の経済政策の失敗で、様々な物資が不足していたのだが、娘さんの結婚式に不足した物があると言う。

なんと結婚式で飲むワインを入れるビンが足らなくなったのだ。チリは有名なワイン産出国なのでワインはふんだんにあるのだが、ビンの回収が旨く行かず不足すると言うのだ。 Sさんは多くの友人にビンの提供を依頼し、自分でも駆けずり回って何とか間に合わせたのだが、日本ではまず起こりえない珍現象だ。

Weather

これは私にとってどうでもいいことである。ノーコメント

魚介類(Marisco)

チリ産うに

チリ産の雲丹
日本でも出まわるようになった

あわびもどきロコ

チリのあわびもどき"ロコ"
でにぎった回転すしのアワビ

フンボルト海流(寒流)のおかげで海産物が美味しい。最近は日本でもチリ産のサーモンをよく見るし、雲丹もあるという。私が南米にいた頃はチリの雲丹は色が黒っぽいので日本人には売れないといわれていたのだが。

プエルトモントというところで雲丹を注文したら、 皿に山盛りで出てきた。雲丹が大好きな親父がいたら大喜びしただろうと思った。

プンタアレーナス(南米大陸南端の町)で有名なのは セントーヤ(大栗蟹)である。先日久しぶりにテレビで見たが、ウーン大きかった。インド・ムンバイの蟹も大きいが、 これはスタイルも違うし大きさも比較にならない。これを安く食べることが出来るので、チリは正に海産物の宝庫だと実感する。

北方四島も海産物の宝庫といわれているので早くロシアから返してもらわないと。 あわびもどきのロコも刺身で食べたが美味しかった。


チリは世界一の銅生産国であり、推定埋蔵量も世界一である。 ドルを闇レートで換金するために行ったお土産屋にも銅製品が沢山並んでいた。

チリの警官

南米で唯一、警察官が賄賂を
受け取らない国"チリ"

南米で唯一警察官が賄賂を受け取らない国チリでは、 警官のことをPoliciaでなくCarabinero(カービン銃を持つ人)と呼ぶ。 南米の他の国では交通違反などを犯した時には警官に賄賂を渡せば「一件落着」となるが、 チリでは逆に「贈賄罪」が加わる。

昔はチリも他国と同様だったらしいが、ある大統領が綱紀粛正を断行し賄賂を撲滅したと聞く。この国にはドイツ系の移民が結構いるのでこれが成功したのかもしれない。

警察官が賄賂を取らないということは、すなわちチリが南米で一番治安がよい国だということに繋がる。 この面では、警察官の息子である私はチリ警察を大いに尊敬している。

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アジエンデ(元)大統領

アジエンデ大統領

人気は最低の男だったが
何も自殺しなくても…

当時チリはアジエンデ大統領の下、南米で唯一の共産主義国家であった。
しかも経済政策が全く旨く行かず物不足で、特にパン・砂糖・小麦粉などの生活必需品が常に不足していた。これらが店頭に並ぶと、アッという間に長蛇の列ができた。トラック業者が政府に抗議してストライキを起こしたのがその一因らしい。ご存知のようにこの国は南北に長いので、トラックが動かなければ流通が旨く行かないのは当然だ。

更に当時は(共産主義国では定番の)テレビ・ラジオ等の言論統制も行われており国民の不満も頂点に達していた。 後日、軍隊のクーデターが起こったのは当然の帰結かもしれない。

チリの軍隊には昔から、政治には関与しないという不文律があり、実際あのピノチェット将軍のクーデターまではそれを堅く守っていた。ピノチェット将軍もクーデターを起こすにあたり非常に悩んだことであろう。CIAが裏で相当強く迫ったのではなかろうか。

とにかくアジエンデの人気は最低で、私が話したチリ人で彼のことをよく言う人は皆無であった。

ヤミ(闇)ドル

私は1971年にペルーに初めて行ったのですが、当時のペルーの食生活は日本より圧倒的に上だったと思う。 パーティーではジョニ黒、ジョニ赤、オールドパーなどが供されていたし、 食べ物も肉、魚そして野菜などがふんだんに有った。

経済が不安定ななかインフレが加速し、チリ人は自国通貨(ペソ)の価値が毎日下がるのでドルを欲しがる、そこで闇ドル市場が発生した。ヤミドルの相場は公定レートの7~8倍だったので、貧乏旅行者でもヤミドル・マーケットで換金すれば結構いい生活ができた。交換の場所はお土産屋や旅行代理店など、外国人が行くところが多い。バックパッカーのくせにシェラトンホテルに泊まったなんて奴もいた。

私もこの恩恵にあずかりコヤイケ(パタゴニアの入り口)から南米大陸最南端のプンタアレーナスまで飛行機に乗ることができた。貧乏旅行中飛行機に乗ったのはこの時と、最後のクスコ ~ リマ間だけである。

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サンティアゴ

ラテンアメリカにはサンティアゴが2箇所ある、キューバとチリだ。従ってマスコミでは Santiago de CubaSantiago de Chileと呼ぶ。 チリのサンティアゴは取り立てて観光名所がある街ではない。 美しいセニョリータが沢山いるだけだが、しかしそれが観光の売りかもしれないが。 面白い習慣がここにはあった。

なぜか毎週土曜日の午前中プロヴィデンシア通りを、多くの若者がわけも無く 三々五々ブラブラ歩くのだ。
ウインドウショッピング、或いはペチャクチャだべりながら。男にとっては格好の軟派の場となる。 明らかに外国人の顔をしている日本人にとってはチャンスだ、声をかけて無視されることはまずない。もっともその後は個人の才能によるが。

南へ行く

南下はヒッチハイクを計画していたのだが、料金を調べたら思ったほど高くないので電車を利用することにした。サンチャゴ中央駅はかまぼこ型の屋根を持った建物だった。私が電車に乗った日にはウド・ユルゲンスの「別れの朝」の曲がBGMとしてかかっており、胸にジーンと来たのを覚えている。

列車にはきちんとした食堂車がついており、乗客が車両ごとに時間をずらして食事を取るシステムとなっていた。内容は海産物で、結構なものだったと記憶する。肉は高級品であり、でてくるはずはない。

プエルトモント

電車の終点はプエルトモント、 この先南米大陸の最南端プンタアレーナス に行くには飛行機か船しかないだろう。

飛行機は高くて手が出ないので船で行くしかない、そのためにはカストロという町に行かなくてはならない。バスに乗り林の中を通りぬけカストロに着いた。

カストロについてすぐ船会社に行ったら、幸運なことに4時間後にプエルト・アイセン行きの船が出るという。とにかくひたすら南へということで二等切符を買った。

プエルト・アイセン

一泊二日の船旅でプエルト・アイセンに着いた。プエルトとは"港"を意味するので、アイセン港と訳すべきか。ここには友人もいないし、安宿も知らない。仕方なくまともなホテルに泊まったのだが、一泊2ドルくらいと意外に安かった。

ここで非常にいい話を聞いた。コヤイケ(パタゴニアの近く)ではヤミドルレート(つまり八分の一)で航空券が買えるという。それならプンタアレーナスまで一っ跳びびだ!
こんなホテル代を必要とするところに長居は無用、翌日にコヤイケ行きのバスに乗った。 コヤイケで旅行会社に行き調べたら、情報どおりヤミレートで航空券が買えることが判明した。

サンティアゴやプエルトモントでは外国人が航空券を買う場合、公定レートでドルを換金したという証明が必要だったのだが。

プンタアレーナス

ついに南米最南端の町にたどり着いた、感激!! しかし着いた時の寒かったこと寒かったこと、夏なのだが何せ最南端おまけに風も強く、ペルーより持参したポンチョを着てやっと寒さがおさまった。

ここで安いホテルを探していたら、ある人が救世軍(Ejercito de Salvacion)ならただで泊まれるという。日本でも年末に社会鍋を実施しているあの救世軍だ。行ってみたらホテルではないので広い居間に寝るだけとのことだが、私は寝袋を持っているので問題なかった。2日間泊まったが、暖炉もあり暖かく実際には食事まで出してもらった。貧乏旅行者には正に救世軍ならぬ救世主であった。それにしてもチリ人は人が良いというか、非常に親切だ。

チリ・アルゼンチン国境での出来事(プエルト・ナターレス

いよいよチリから出る日が来たのだが、実は大問題があった。政府がヤミドル対策として、旅行者に1日当たり10ドル(学生は5ドル)を公定レートで換金すべしという法律を出していた。

私は入国時、身分を学生と偽り(日本の運転免許証を見せて、学生だと言った:日本人は若く見られる)
4日分20ドルしか換金していない。ということは2ヶ月近くチリに滞在したので300ドル(所持金の半分以上)近く強制的に公定レートで換金させられるかもしれない。コヤイケから一緒に旅行しているS君、H君も同様らしい。貧乏旅行者最大のピンチである。

そこで我々は一計を案じた。三人ともスペイン語を話せないふりをして、更に大部分の所持金(トラベラーズチェック)を靴の中に隠すこととした。 これならいけるだろうと思ったが、さすがにプエルト・ナターレス のイミグレーションを通る時は最高に緊張した。うまくいってくれ!!心臓がドキドキしてその音が頭まで響いてくる。

…が、「案ずるより生むが易し」である。換金を義務付けたこの法律はチリ最南端のイミグレーションまでは伝わっていなかったのだ。万歳!万歳!万歳!この時の喜び、安堵感は他人には分からないだろう。 真実は小説よりも奇なり? 南米のおおらかさ(いい加減さ)に感謝!

1ドルも換金せずに国境通過を果たした我々3人は、アルゼンチン・ワインで盛大に乾杯をした。
"サルー!"(乾杯)


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