ブラジル

アルゼンチンからブラジルへの国境で起こったこと。
大体何処でも国境を越える時にはよく問題が起こるものだが、今回も発生した。 バスの乗客の中に中国人とチリ人がいたのであるが、この二人が何故問題かというと、 共産主義の国から来たということである。
当時南米人の人は共産主義が大嫌いだったので、イミグレーションでブラジルの役人がこの二人が共産主義者だという理由で書類を厳重に調べたのだろう、通関時間が異常に長くかかった。

元々共産主義の国の人の入国には多くの書類が要求されていたのだが、 国際バスなので全員通関手続きが終わるまで出発できない。 このため他の客が待たされイライラしてきたのである。 南米の人は普通待つことには慣れているのだが、この時は異常に長かった。 別にこの二人が悪いわけではないのだが、バスの乗客のこの二人を見る目は非常に厳しかった。

"頭文字のCの国(China, Chile)は駄目なのよね"なんてあてつけを言う女もいた。 かく言う私も待たされて相当苛立ったほうだが、さすがに二人を気の毒に思った。

リオのカーニバル(サンバ)



普通日本人がブラジルと聞けば真っ先に思い浮かべるのは「リオのカーニバル」であろう。
私は1973年にこれを見た。この年のカーニバルは3月3日から6日までだったと記憶する。太陰暦で決まるため太陽暦では日付は一定でなく、この年は最も遅いケースだった。私の誕生日が3月6日なのでよく覚えている。

当時は今のようにサンボドロ(マルケス・デ・サプカイ通り) も無く、ヒオ・ブランコ(白い川の意味)がメイン会場だった。 道の両端に阿波踊りの桟敷席のように(といっても椅子座りが出来る形状)見物席を設け、その中を独特のキンキラキンの衣装(衣装とはいえないのではないかと思うほど露出度が高い物もある)を着た阿波踊りで言う「なんとか連」がサンバを踊りながら通ってゆく。当時は治安も今ほど悪くなく、1人でいてもそんなに怖くは無かった。

よく言われるようにお金を貯めてカーニバルで使い果たすということはかなりの部分で本当らしい。
日本の阿波踊り同様為政者が許可する暑い夏のガス抜きということであろう。この期間中は、正に一日中、何処かで、誰かが踊り狂っているという感じであった。
踊りの練習も数ヶ月前から始まる。阿波踊りで言う「何とか連」はポルトガル語でEscola de Samba(サンバ学校)といい、練習を週末に安い料金で開放することがある。一般の人も中に入り、サンバのリズムで一緒に踊るのだ。
私も土曜日の夜、大通りで大人数が集まって練習するのを見たことがあるが、 本チャンが間近だったこともありど迫力だった。

金持ち連中は街中ではなく、ボアッチェ(ナイトクラブ)の中のサンバ踊りを見に行っている。 当時雑誌などに掲載された綺麗なネーちゃんの写真はこちらの方が多かったのではなかろうか。 入場料は半端でなく高価だったらしい。 しかしブラジル人に言わせると、リオのカーニバルは外国人観光客用であってバイア(サルバドール)のカーニバルが 最高だとか。黒人系が多いからであろう。
リオのカーニバル、オルロ(ボリビア)のカーニバル、 そしてペルーのインティライミ(太陽の祭り)が南米の三大祭と言われている。

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ボサノヴァ(Bossa Nova 新しい傾向という意味)

ジョアン・ジルベルト

ジョアン・ジルベルト
Joao Gilberto

ブラジリアン・リズムとして最も知られているボサノヴァは50年代に全盛期を迎えたサンバ・カンソォンに、ある意味挑発されて誕生したといえる。
ボサノヴァにとって最も重要な存在である、ジョアン・ジルベルトは、バイア州出身のヴィオラォン(Violão 7弦ギター)奏者で彼のヴィオラォンには故郷の地が育んだ機敏や邪心、さらには仇っぽさまでもが潜んでいた。
ボサノヴァのリズムを創造したのはその彼である。その変わったヴィオラォンの演奏法でサンバのリズムにゆったりとした穏やかな雰囲気を加味したのであった。

ボサノヴァに辛辣だった者たちからは、それは"水で薄められた"ようなサンバと揶揄された演奏法だった。(在日ブラジル大使館のパンフレットより)
…だが今や、ボサノヴァはブラジルを代表する音楽となっている。

リオ・デ・ジャネイロ (Rio de Janeiro)

現地ではヒオ・デ・ジャネイロに近い発音となる。
海岸の名前は北から南にフラメンゴ(Flamengo)、コパカバーナ(Copacabana)、イパネマ(Ipanema)、レブロン(Leblon)そしてシェラトンホテルのプライベートビーチへと続く。南に行くほど高級な感じになる。
コパカバーナはバリー・マニローのヒット曲で有名になったが、 世界的に有名なのはイパネマだろう。

アントニオ・カルロス・ジョビン(Antoônio Carlos Jobim)作曲(1962年) のボサノヴァの名曲「イパネマの娘(Garota de Ipanema)」はあまりにも有名で説明の要は無いだろう。 未だに世界中で愛されていて、いろんなところで流れてくる。

イパネマ海岸に、"Garota de Ipanema"というカフェテリアがあって、そこのトイレのドアにはアントニオ・カルロス・ジョビン直筆の「イパネマの娘」のイントロの楽譜が書いてあった。音楽好きの私はその楽譜を写真に撮ったのですが、紛失してしまいました。 嗚呼、なんと勿体無いことをした! 正に「痛恨の極み!」
このカフェテリアは、当時としてはリオ・デ・ジャネイロの文化人が集まるので有名な場所だったそうです。

イパネマとコパカバーナにはヒット曲があるので、次のご当地ソングのヒットはフラメンゴかレブロンになるかも? 例えば"Levlon mi Corason"(わが心のレブロン)とか。

余談ですが、三井金属ヨット部のヨットの名前も、"Garota de Ipanema"でした。ヨット置き場はIpanemaでなく江ノ島でしたが…

ファべーラ favela(貧民窟)

ファべーラ

貧民窟は、ブラジル中どこにでもある。
私は無謀にも一度1人でファべーラにいったことがあるが、そんなに物騒な感じがしなかった。 普通の人が普通に歩いていただけだ。昼間しかも短時間だったのだが、周りからよくそんなところに行ったなと言われた。
命知らずであるが、金がなく貧しい格好をしていたので狙われなかったのだろう。ブラジルでは日本人の顔をしていても、外人とは思われないのだから。

昔、大ヒットした"黒いオルフェ"という映画があったが、ここで撮影をされたのではないかナ。

コルコバード (Corcovado)

手を広げたキリストの像がある丘であり、リオ・デ・ジャネイロが一望できる最高の場所。
ボサノヴァの名曲「コルコバード」も有名だ。 ある夜中にしこたま酔っ払ったブラジル人の運転でここに行った。その像は非常に大きかったのを覚えている。 今では像まで登るためのケーブルカーがあるそうですが、当時はなかったと思う。第一、像の真下まで車で行けました。 今は一般車両では行けないらしいです。

パン・ジ・アスーカル (Pão de Açucar)

パン・ジ・アスーカル

映画"007"の「ムーンレイカー」に出てきた。 ロジャームーアが ケーブルカーのケーブルを使って、敵から逃げようとするパン・ジ・アスーカルでのシーンは印象的だ。
「パン (Pão)」はパンを意味し「アスーカル (Açucar)」は砂糖を意味する。 その形状からこのような名前がつけられたとか。


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サンパウロ (São Paulo)

ブラジル全土には約150万人(世界一)の日系人がいるが、その中でもサンパウロは最も日系人の多い町である。当時からリベルタージは東洋人街として有名で、 中でもガルボン・ブエノは典型的日系人街だった。 しかし今では日系人より韓国人・中国人が幅をきかしているらしい。

最近日系人はその地位向上とともに、会社や住居をメインストリートのパウリスタ通り近辺に移動しつつある。

御茶ノ水橋

サンパウロの街中に「御茶ノ水橋」なる橋がある。日系人が多いのでこの名前をつけたのであろう。
近くに観光案内所があり、「日本語できます」の案内があった。 橋の下に献血所があったので、病気のチェックをかねて確か400cc献血をした。

飲み物、食べ物

コーヒー

ブラジルといえばコーヒーだろう。
ブラジル人は小さいカップに砂糖を惜しげもなくドバっと入れて飲む。さすがに砂糖生産も世界一の国だ。
通常我々が飲む物よりズーと甘い。 スコールが降り出した時など人々はカフェテリアに駆け込み、これを飲み駄弁りながら雨が上がるのを待つ。
コーヒーの産出量は世界一だが、残念ながら味に関してはコロンビアのコーヒーの方が評判はよかった。

ピンガ
シュラスコ

シュラスコ
(churrasco)

カイピリーニャ

カイピリーニャ
(Caipirinha)

サトウキビから作る蒸留酒であり、アルコール度は結構高い。 これから作るカクテル"カイピリーニャ"は有名でそのフアンも多い。これは氷の塊、ピンガ、砂糖、ライムの汁などを混ぜて作るのだが、その名前は、開高健によると「オラが村の娘っこ」 という意味らしい。
私もこのカクテルは大好きで、シュラスコ を食べながらこれを飲めば最高に幸せ!

最近、日本にもブラジル料理店が増えてきているので、シュラスコをご存知の方も多いだろう。
大きい串にさして焼いた肉をで、ボーイが薄く切ってくれるのをピンセットのような物で自分の皿に取って食べる物である。 肉にも色々な部位があるので味も様々だし、ソーセージもある。 後年ブラジル出張の時食べたが、当時より相当値段が高かった。

日本酒

東麒麟(あずまきりん)という日本酒があった。
当時はフーゼル油など多く不純物が含まれると言われており、沢山飲むと必ず二日酔いで頭が痛くなるので、別名"頭キリン"と呼ばれていた。私も"キリン"になったことがある。 2001年に久方ぶりに出張でブラジルに行った時には、かなり切れ味鋭い良いお酒になっていた。 余談だが、長老の話によるとペルーにも戦前には日本酒があって、その名も"アンデス正宗"だったらしいが、第二次世界大戦のせいでなくなったようだ。 名前にロマンがあるので、一度飲んでみたい気がする。

フェィジョアーダ

代表的ブラジル料理であろう。黒い豆と一緒に肉ソーセージなどを煮込んだ物、元々は奴隷の食べ物だったと聞いたことがある。 ブラジルだけでなく南米で他の国でも食べる。リマのある定食屋は毎週金曜日の昼食をフェィジョアーダと決めていた。私は一度これを食べて旨いとは思えなかったので、それ以降一度も食べていない。私は食べ物に好き嫌いはないほうなのだが。

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サッカー(Futbol:フッチボル)王国

これは説明の必要は無いだろう、どう考えてもブラジルは世界一のサッカー王国だ。
ワールドカップ5回優勝もそうだし、ワールドカップ戦第1回から一度も欠かさず本戦に連続出場しているのも世界中でブラジルだけである。

バロンドール受賞者でも今世紀だけで、ホナウド、ホナウジーニョ、カカーの名前が挙がる。
しかし、サッカー史上最高の選手はなんと言っても"ペレー"だ。17歳でWカップデビューし4回連続出場、そのうち3回優勝している。当時のブラジルチームは確かに凄いタレント揃いのチームではあったが、彼の力無しでは3回も優勝できなかったに違いない。しかも3回目(1970年)はなんと引き分けも無い全勝というぶっちぎりの優勝だった。 この結果ブラジルが「ジュール・リメ」杯を永久保持する権利を得たのだが、 これが行方不明になったのもいかにも南米らしい。

又、現在のイエローカード、レッドカードが考案されたのはWカップ戦(スエーデン大会)で彼に対する反則があまりにも激しかったことも無関係ではない。相手チームはまともに当たっては彼を食い止めることはできないので、露骨に彼を削りに来る。彼が怪我をすればそれだけ相手に有利になる(当時は選手交代がなかった)からだ。それぐらい手が着けられない秀でた存在だった。

ペレー (Pelé)
Edson Arantes do Nascimento


ペレーが車を運転中赤信号で止まった時に強盗にあったのだが、その強盗がペレーだと気付き「すまなかった」と謝って逃げたという有名な話があるが、彼がいかにブラジル人に尊敬されているかを示すエピソードである。
<<---- ここで日本のサッカーファンの方々への切なるお願い。---->>
ペレーとカカーは名前の後ろにアクセントがある(サインを見れば分かる)ので、
ペレ、カカでなくペレー、カカーと呼んでください。カカという発音だとスペイン語で「糞」という意味になってします。 中南米で、彼らをペレとかカカと呼ぶ人は多分1人もいないと思います。 何卒、何卒よろしくお願いします。

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日伯修交100年

2008年に日伯修交100年を記念して色々な行事が催された。 その一つとして、在ブラジル日本大使の講演があったが、その要約は下記の通り。
面積;日本の23倍〔世界第5位〕、 豊かな自然(アマゾン)全世界の熱帯雨林の1/3、淡水資源の五分の一を有す。
石油;巨大海底油田も発見され現在は石油の輸出国である。海底油田の掘削技術は世界最高といわれている。

Lula大統領

ルーラ大統領
Luiz Inacio Lula


ジルマ・ルーセフ大統領

ジルマ・ルーセフ大統領
Dilma Rousseff

経済の安定的成長;2007年:成長率は4.5~5% GDP 1兆ドル強、インフレ率は3.14%(2006)、当時 ルーラ(Luiz Inacio Lula)大統領の人気も高かった。(現在は、ジルマ・ルーセフ Dilma Rousseff 大統領)

BRICsの中で、唯一ユーラシア大陸でない国、唯一の核兵器を持たない国

日系人、その存在は約150万人で、教育熱心なのでその社会的地位が向上している。4人の閣僚、20人〔81人中〕の上院議員がいる。市長は30人以上いて、空軍司令官はサイトウ・ジュンイチロウという日系人、又、マイクロソフトのブラジル社長も日系人である。名門サンパウロ州立大学の学生のうち15%は日系人と言われているし、日系人の25%は大学卒である。

新しい日伯関係の到来

失われた20年〔日伯経済停滞期〕を経て日伯関係新時代の到来
日系人は最初の移民の時は主に農業面で貢献してきたが、現在は日系企業の進出及び定着のためにも非常に役立っている。今からブラジル進出日系企業に大いに力になるだろう。

2007年12月2日にサンパウロでテレビのデジタル放送が開始されたが、日本の技術を導入している。 影の部分として在日ブラジル人(32万人)の問題がある。 逃亡犯罪者などの問題〔逃げ得?〕 教育問題 社会保障の問題 日本企業にも問題があるのでは?

ブラジルに関しては話し出せば限がないので,取り敢えずこの辺で、Ate logo !



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