アルゼンチン(タンゴ・ワイン・ステーキ)

チリのプエルト・ナターレスで無事国境を越えてアルゼンチンに入り、ひたすら北上した。北上といっても、南半球では北に行くほど暖かくなる。

賄賂(ワイロ)

ヒッチハイクでブエノスアイレスを目指す途中、とんでもない風景にでくわした。 幹線道路(日本で言えば2号線くらいに相当する)で賄賂を取っている警官を見た。

警官が検問所で長距離トラックを止めて、正確に言えば彼らは必要書類の提示を運転手に求めるわけだが、その書類が複雑かつ量も多いので必ず不備があると分かっている運転手達は書類の下に金(賄賂)付け沿えて書類を渡す。金額は100円程度だったと記憶する。 そうすると警官はそれを受け取り"Gracias"(有難う)といって通行を許可するのだ。
トラックの運転手曰く「これはごく普通のことだ」と、 私は色々な国に行ったが、警官がこれほど堂々と賄賂を貰っているケースは見たことが無い。第一"Gracias"といって貰うのだから。

to Page Top

アルゼンチンのパンパ

パンパ風景

アルゼンチン・パンパの風景

ブエノスアイレスを中心にアルゼンチン中部に広がる大草原がパンパである。 パンパはアルゼンチンの農業の中心地で、国内の耕地の80%、牧草地・放牧地の60%を占める。 また小麦の95%はここで生産されている。
牛の放牧も有名であり、ここのカウボーイはガウチョと呼ばれている。彼らは馬を捕まえる時、投げ縄でなく"ボラ"(縄の端に石や金属を付けたもの)を使用する。

私はブエノスアイレスに向かって、ここをヒッチハイクで旅行したのだが、 見渡す限り緑のパンパでありその中に真っ直ぐな道が一本あるだけ。 緑の地平線はよーく見ると直線ではなく地球の丸みを感じた。
行けども行けどもこの風景が続く、たまに鹿が道を横切ったりもするが、景色としては全く単調で眠くてしょうがない。 眠ってしまい「お前は景色を見るために旅行しているのではないのか?」と運転手さんに言われたことがある。 この運転手さんはエミリオという名前で、イタリア系アルゼンチン人だった。 イタリア系らしく運転しながら野太い声でよく歌っていた。 又、休憩時間にはマテ茶を飲ませてくれた。彼のトラックでブエノスアイレスに着いた。

※イタリア人の生きがいは、amore(愛すること), mangiare(食べること),cantare(歌うこと)である。

タンゴ

アルゼンチンとくればタンゴか。 首都ブエノスアイレスのボカ(ラプラタ川の河口の町)に、タンゴを聴かせる大変由緒あるライブハウス"El Viejo Almacen"がある。有名な「カミニート」発祥の地らしく、石畳の道の上を歩いて行く。

GRACIELA SUSANA

GRACIELA SUSANA
グラシエラ・スサーナ

ここでは昔日本でも超有名になった歌姫グラシエラ・スサーナも歌っていたし、日本人歌手 菅原洋一もアルゼンチン旅行の時、飛び入りで歌わせてもらった。
「変な顔をした奴だが、その割には中々やるじゃないか!」というのが彼の評価だったらしい。

カルロス・ガルシア

CARLOS GARCIA
カルロス・ガルシア

私もが行った時は、カルロス・ガルシア(タンゴピアノの大御所だと後で知った)というミイラのごとく痩せこけたピアニストが弾いていたのを覚えている。 驚いたことには、昔の日本人タンゴ歌手"藤沢嵐子"の名前を知っているアルゼンチン人がいた。(彼女はアルゼンチンに来たことがあるそうな)
日本人でも彼女を知っている人は非常に希なのに。 但し、この頃はサンバ(ボサノバ)が隆盛を極めており、残念ながらタンゴは停滞期であった。

サッカー

マラドーナ

Diego Armando Maradona
マラドーナ

ボカといえばかの有名な天才プレイヤー マラドーナ が在籍していたサッカーチームが"ボカ・ジュニア"である。
彼が大活躍をしたメキシコ大会(1986)の時、私はペルー駐在員だったので、時差も殆どない(1時間)ので、この大会の試合は随分テレビで見た。 彼の対イングランド戦で見せた二つの神業はサッカーファンなら忘れることは出来ないだろう。

この試合はその3年前のフォークランド紛争(スペイン語ではマルビーナス紛争)の再現とも言われ世界の耳目を集めていた。

第一の神業;「神の手」(La mano de Dios)、サッカー史上あまりにも有名な出来事である。
イングランドのクリアーミスのボールをマラドーナがヘディングと見せかけハンドで押し込んだゴールである。明らかに審判の大チョンボであり、イングランドの選手が猛烈に抗議したが判定は覆らず、アルゼンチン1-0のリードとなった。

2006年5月3日のBBCのインタービューに答えてマラドーナが「あれはハンドだった」と認めているが、同時に「もう過ぎ去ったことだ」とも言っている。 その後、マラドーナは誤審をしたチュニジアの審判アリ・ベナスールに彼がその時着ていたユニフォームをプレゼントしている。ベナスールがそのユニフォームを持って嬉しそうにしている写真が、新聞に掲載されたらしい。

第二の神業;「5人抜き」ゴールは「神の手」の3分後に生まれた。 このプレーは20世紀最高のゴールといわれるが、間違いない。たまにテレビで放映されるが、何度見ても「凄い!」としか言いようが無い。

アステカスタジアム

1986 第13回 FIFAワールドカップ メキシコ大会が行われた
メキシコシティーのアステカスタジアム(Azteca entrance)

約60mの距離を5人の相手選手をかわしながら10秒で走り抜け、ゴールまで持っていった。しかも場所は海抜2,200メートルのアステカスタジアム、さらに太陽の下である。技も凄いが体力も凄いもんだ。
このゴールには「神の手」に大ブーイングをしたイングランド・サポーターも、まったく"脱帽"するしかなかったはずだ。

to Page Top

夜更かしの街、ブエノスアイレス

ブエノスアイレスは夜更かしの街である。普通のレストランでも8時頃行くとガラガラである。10時頃から人が増える。夕方軽食を取ってから来るのだとか。
当時"カリーナ"というレストラ・ンシアターがあり、そこはナ・ナ・なんと真夜中12時にショーが開始するのだ。

gaucho

ガウチョ(gaucho)=カウボーイ

私が行った時は、ガウチョ(=カウボーイ)のショーをやっていた。ボラ(紐の端に石をつけたもの:牛の足に絡ませて牛を捕らえる道具)を振り回し床で音を立てたり、蝋燭の火を消したりする技を披露していたが、結構な迫力だった。

ショーの終了時刻は早朝4時、この時間まで楽しんでいたらまともに朝から仕事が出来るわけが無い。しかもここは、女性のお持ち帰りが出来るところだった。ここに来ている人々は翌日仕事をしなくてもよい階級の人だったに違いない。

南米のパリ

ブエノスアイレスは南米のパリとも呼ばれる。建物や雰囲気がそうなのだろう。(当時私はヨーロッパに行ったことがなかったが…)
そういえば私の泊まった「フェニックス・ホテル」のエレベーターは格子状のドアで、かつ手で開閉する代物であった。昔フランス映画でジャンギャバンがエレベーターを手で開閉するシーンがあったのを記憶している。
又、車を駐車するときには、坂道以外ではサイドブレーキをかけてはいけないというルールがあった。スペースが無い場合、バンパーをぶつけて駐車スペースを作るのである。これもフランス風ではないか。

大きな通りの交差点にはカフェテリア(コンフィテリア)が必ず一軒あり、そこで暇な男(達)が何をするでもなく、ビールまたはワインを、ちびちび舐めながら通りを見ている。

道行く人や車を眺めたり、勿論綺麗なネーちゃんが通ればジーと見えなくなる迄、目線で追って行く。ハウスワインは1リットル25セントくらいで、これで2時間は粘るのだ。 私も彼らの仲間になったことがあるが、退屈ではなかった。

to Page Top

ショッピング

フロリダ通り ここが日本でいう原宿通り、或いは銀座などに当たり、しゃれた店も多くあった。アルゼンチンは革製品が有名だったと記憶する。「日本語できます」の看板が出ている店もあった。
しかし貧乏旅行者の悲しさ、ウインドウショッピングしか出来なかった。

仕事納めの紙吹雪

紙吹雪

一年の仕事納めの日、ビジネスマンたちは書類を破り捨てて窓から放り投げる習慣があった。
勿論必要な書類は投げ捨てず、不要な書類だけだがかなりの量である。私も下から見たがかなり壮観だった。 他の都市でもやっているのかもしれない。一年の仕事の憂さを晴らそうというのだ、確かに気分は爽快だろう。
しかし憂さ晴らしが必要なほど仕事を熱心にしている人ばかりとは思えないのだが。

移民

アルゼンチンには欧州系移民が圧倒的に多いのだが、中でもイタリア系移民が多く、発音もイタリア系のスペイン語を話す人が多いような気がした。 日系移民がかなりいて(世界第6位)、職業はクリーニング屋が一番多く、次が花屋だった。

日本語新聞に「盛業中のTintoreria(クリーニング店)売ります」の宣伝がズラーと並んでいた。故郷に錦を飾りたいというところだろうか。
クリーニング屋は、かの国では職業的にランクが低いので、日系移民の社会的地位はブラジルほど高くはなかった。元々白人優位国家なのだ。

マール・デル・プラタ

マール デル プラタの写真

このマール デル プラタの写真はトリップアドバイザーから無料提供されています

昔、地理の時間にラプラタ川(Rio de la Plata)といった川の名を習ったことと思いますが、覚えておられるでしょうか? スペイン語でPlataは銀を意味します。
この河の流域の住民をウルグアイ人も含めて、リオプラテンセ(Rioplatense)と呼ばれています。

この河口は非常に大きく、この河口の南側にマール・デル・プラタという都市がある。ここには南米最大のカジノがあることで有名です。 1972年のクリスマスはここで過ごしたのですが、例によって資金的余裕の無い私が、カジノを楽しむことなどできません。ですから外から見ただけですが、カジノの建物は大変立派でした。

ブエノスアイレスから往復とも電車に乗ったのですが、車両が新潟鉄工所製だったので、こんなところまで日本が進出しているのかと思うと同時に、大変懐かしい気がしました。

ウルグアイのラグビーチームの話

マールデルプラタにはイギリス人パトリックと旅行をしていたのですが、クリスマスの日くらいはと珍しく奮発して2人で4本の赤ワインを飲みました。といっても既にご存知のようにそんなに値段は高くないのですが。

この時とてもショッキングなニュースを聞きました。ウルグアイのラグビーチームが乗った飛行機がアンデス山中に墜落し、生き残ったメンバーが飢えをしのぐために死んだ彼らのチームメートの肉を食べたというのです。確かこの時ローマ法王はこの行為を、生存のために仕方が無かったものである、と肯定するメッセージを発したと記憶しています。 この事件はその異常性により南米旅行中の私にとって忘れられない出来事となりました。
当時日本人はどう感じたのだろうか?

飲み物・食べ物

アルゼンチンのステーキ

ステーキも大きい

食べ物はとにかく安かった。 セルフサービスのレストランで、野菜サラダ、ソーセージ、スープ、ステーキそれにパン、これだけ食べて1ドルでお釣がくるのだから。勿論サラダにはオイルと酢をかけてくれるし、ステーキだって大きい。何せガウチョの国だから。

アルゼンチン・ワイン

アルゼンチン・ワイン

アルゼンチンはワインでも有名な国である。生産量は世界第5位と隣国チリよりも圧倒的に多い。 従って値段も安く、レストランでハウスワインを注文しても、1リットル25セントくらいだった。

「ワインとステーキ」とくれば日本では北海道の池田町のキャッチフレーズで、東京八重洲に町営レストラン「十勝」があるが、アルゼンチンの値段はここの十分の一だ。
Tさんという駐在員の方に、ゴルフ場に連れて行ってもらったことがある。その時ゴルフの後、皆で赤ワインに冷やした炭酸水を入れて飲んでいた。それが当時流行っていた飲み方らしいが、これなら味が分からないので安いワインでもO.K.ということだろう。 その他にも、氷の塊を入れたボウルにビールとセブンアップを流し込みこれを飲むことも流行っていたが、セブンアップの甘さとビールの苦さが旨く調和しており。正直これはいけた。暑い時のゴルフの後にこれを飲めば最高だろう。

パラグアイへ

ブエノスアイレスからパラグアイ行きのバスに乗った。パラグアイに近づくにつれバスのラジオからHarpa(ハープ)の音楽が強く聞こえてくる。アルパはパラグアイの伝統楽器なのだ。



to Page Top